建築家/堀田英二(ほった えいじ)
ビラビアンカ設計の建築家
1928(昭和3)年1月21日〜1999(平成11)年10月11日
堀田が書いたビラビアンカ設計当時のことが日本建築学会会誌の『建築雑誌』に掲載されています。
施主(興和商事石田鑑三)の建築に対する理解度(法規、構造、設備等の細部にわたって)と利用者に対する考慮が相当高度なものであったこと、アパートを仮の住まいでなく、生活の本拠として考えたい人が増え、これが建物の性格と質を決定づけた、と書いています。
また、当時事務所の所員は15名だったようです。
建築主/石田鑑三(いしだ かんぞう)
ビラビアンカの建築主
1928(昭和3)年〜2008(平成20)年3月
石田鑑三は、第二次世界大戦中の15歳のとき、志願兵として九州の特攻隊に配属されました。1945年8月の日本軍敗戦により、焼け野原の東京に戻ったときは、わずか17歳でした。
大学卒業後、1950(昭和25)年に興和商事を設立し、歌舞伎町に鉄筋コンクリート造地上4階地下1階、160坪のホテルを建てましたが、1960(昭和35)年にはそのホテルを閉じて、飲食店の経営や戸建住宅を販売していました。これからは集合住宅の時代だと、原宿の土地に「永久に変わらぬ価値」をテーマとした、高級な集合住宅ビラビアンカを建設することにしました。
そして、知り合った建築家の中で、もっともセンスが良かった堀田英二を独立させ、設計を依頼しました。一緒に欧米に視察旅行にでかけましたが、参考にしたいと思うものはありませんでした。
そこで、自分たちでまったく新しいものを作ろうと、堀田の事務所に毎日のように通い、高級な集合住宅を目指して、斬新で機能的なデザインを探求し、素材をていねいに選んで、2年をかけて理想を具現化したビラビアンカの設計を作り上げました。
工事は大成建設が担当し、わずか11ヶ月で竣工しました。