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ビラ・ビアンカとは

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基本情報

竣工
1964(昭和39)年4月
所在地
東京都渋谷区神宮前2丁目(旧地名:渋谷区原宿)
構造
地下2階 地上7階鉄筋コンクリート(1階のみ鉄筋鉄骨コンクリート)造
総戸数
45戸(住居40戸、メイドルーム3戸、店舗2戸)
接地面積
1018.29㎡
延床面積
5876.56㎡
専有面積
54.02〜126.39㎡(メイドルーム/14.77㎡)
建築主
石田 鑑三(興和商事株式会社社長)
設計/建築
堀田英二建築設計事務所
設備
桜井建築設備研究所
施工/建築
大成建設株式会社
電気
関東電気工業株式会社
設備
三機工業株式会社
工期
1963年6月〜1964年5月(12ヶ月)

建築家/堀田英二(ほった えいじ)

ビラビアンカ設計の建築家
生年月日:1928(昭和3)年1月21日〜1999(平成11)年10月11日

堀田が書いたビラビアンカ設計当時のことが日本建築学会会誌の『建築雑誌』に掲載されています。

施主(興和商事石田鑑三)の建築に対する理解度(法規、構造、設備等の細部にわたって)と利用者に対する考慮が相当高度なものであったこと、アパートを仮の住まいでなく、生活の本拠として考えたい人が増え、これが建物の性格と質を決定づけた、と書いています。
また、当時事務所の所員は15名だったようです。

建築主/石田鑑三(いしだ かんぞう)

ビラビアンカの建築主
生年月日:1928(昭和3)年〜2008(平成20)年3月

石田鑑三は、第二次世界大戦中の15歳のとき、志願兵として九州の特攻隊に配属されました。1945年8月の日本軍敗戦により、焼け野原の東京に戻ったときは、わずか17歳でした。

大学卒業後、1950(昭和25)年に興和商事を設立し、歌舞伎町に鉄筋コンクリート造地上4階地下1階、160坪のホテルを建てましたが、1960(昭和35)年にはそのホテルを閉じて、飲食店の経営や戸建住宅を販売していました。これからは集合住宅の時代だと、原宿の土地に「永久に変わらぬ価値」をテーマとした、高級な集合住宅ビラビアンカを建設することにしました。

そして、知り合った建築家の中で、もっともセンスが良かった堀田英二を独立させ、設計を依頼しました。一緒に欧米に視察旅行にでかけましたが、参考にしたいと思うものはありませんでした。

そこで、自分たちでまったく新しいものを作ろうと、堀田の事務所に毎日のように通い、高級な集合住宅を目指して、斬新で機能的なデザインを探求し、素材をていねいに選んで、2年をかけて理想を具現化したビラビアンカの設計を作り上げました。
工事は大成建設が担当し、わずか11ヶ月で竣工しました。

Exterior

外観について

「この集合住宅の特徴となるポイントはいくつかあるが、その第一は平面計画と構造計画の完全な一致にある。
変形な敷地から整形の平面形は配置し難い。敷地に馴染みやすい三・五m角のグリッドにより外形を雁行させて構成する平面システムを採用している。(中略)このグリッド構成による平面計画のシステムが、この建築の全てであるといえる。

住戸境壁から、住戸内の間仕切り壁まで平面を構成する全ての壁がこのグリッドの上に載っている。当然のことながら構造体も忠実にこのグリッドシステムを生かし、中央部に耐力壁を、周囲には壁柱を配して、開放的な採光面のある居住空間をつくっている。このシステムを徹底させれば三・五m角の正方形の大型テラスを配することになる。これに何のためらいもなくプラントボックスのあるテラスを計画している。

さらにこの建築が中途半端でないところは、偶数階と奇数階の二種類の平面を繰り返し重ねているところにある。また、外周にある大きなガラス壁面と影をつくる奥行のあるテラスを交互に置くことで、個性的な外観をつくっている。」(清田育男『すまいさろん』62号より引用)

Structural Plan

構造計画

「平面計画上の3,500x3,500のグリッドに全階幅300の梁を配し、床を支える構造要素はこのグリッド幅300に収まるよう計画した。すなわち、中央に強力な耐力壁を設け、ねじり剛性を高めるために周囲に幅300x900の壁柱を配した(図-1,2)。

梁成はすべて800として、階高を統一し、外壁はアルミサッシュを回し、アルミまたはガラスのカーテンウォールとし、奇数階・偶数階によって配置を変えてある。構造設計は武藤剛氏の協力による。」
(堀田英二『建築文化』214号より引用)

Equipment

設備概要

地下1階には、トランクルームと店舗(入口は明治通り側)、地下2階にはトランクルームと機械室があります。

竣工時には、セントラル方式の冷暖房があり、地下機械室に冷凍機・冷却水ポンプ・冷水ポンプ、ボイラ・重油タンク・熱交換器が設置されていました。現在ではその鉄の塊のような巨大な設備が残されています。

※参考文献
雑誌
堀田英二「これからの設計システム (これからの設計システムはいかにあるべきか)」『建築雑誌』938号 日本建築学会 1964
堀田英二「特集 住宅 ビラ・ビアンカ」『建築文化』214号 彰国社 1964
石田鑑三「(特集 住宅-60年代の総括と70年代の展望)マンションの展望とビラシリーズ」『建築と社会』52巻1号 日本建築協会 1971
藤崎圭一郎「完璧な住まいを求めて。「ビラシリーズ」の生みの親が語り遺したこと」『建築ジャーナル』1260号 建築ジャーナル 2016
清田育男「<すまい再発見>ビラ・ビアンカ」『すまいさろん』62号 住宅総合研究財団 2002
新井文子「ヴィンテージ・マンション価値保存の法則 Case1 ビラビアンカ」『都心に住む』2010年10月号
「集合住宅 VILLA BISNCA」『建築』August 1964